鉄鋼産業と政府の規律付け

先週から今週にかけて、中国の政策研究者が、日本の鉄鋼の過剰生産能力の調整と環境規制についてヒアリングするのに同行しました。
鉄の会社というのは、日本では昭和、中国では社会主義の匂いが色濃く残っていて、共通する匂いがあります。しかし、この産業の日本と中国の来し方を比較すると、政府がどういうインセンティブをもってるか、が、回り回って、産業のあり方に強く影響を与えているのを改めて感じました。
過剰生産能力は巨大な固定費ゆえの規模の経済という正の外部性、環境問題は古典的なコストを外部に転化するという負の外部性という特徴があります。前者は作りすぎても止まらない、後者は公害で社会がひどい損害をうける。
作りすぎについては、日本の政府は比較的最近まで需給への司令で調整をしていて、競争法のロジックが入ってきて初めて、政府の役割を情報発信にまで後退させたようです。ただ、客観的な情勢として、日本が低成長時代に入ったのも、この転換を可能にした面もあります。
より厳しい対立を経験したのは、公害という負の外部性にどう向き合うかです。日本は60年代末から70年代にかけて被害者が声を上げ、議会と自治体の長を革新側にすげ替えることで、国はようやく「経済と環境の共生」から「環境の絶対優先」に転換し、問題が解決に向かいました。「共生」と言いながら環境と成長をトレードオフのままに放置する制度から、「環境優先」という制約をあたえることで、成長と環境のトレードオフを解消し、「持続可能な成長」に向かい始めたわけです。この世界で唯一の被害者賠償制度で企業に制約と技術革新のインセンティブを与え、体制を5年ほどの間に転換させました。地方自治体の環境研究所の技術能力は高く、この能力と住民からの預託を受けるというインセンティブを構造をもった地方自治体は、環境規制の履行者としてきちんと機能し続けています。
翻って中国の地方政府は、自分自身が「経済と環境の共生」という枠に囚われています。それ故、現在、環境規制の権限はいます省レベル引き上げられ、地方政府は企業の査察に入ることを禁じられているようです。地方政府のインセンティブに大きな問題があり、住民にはそれを転換する方法はなく、上から手を突っ込むしかない。しかし、上には十分な情報もメカニズムもなく、結局のところ行政命令によって環境を改善する方法しかない。ことしもまた河北省は12月に鉄鋼企業と製薬、化学産業を1ヶ月停止させるのでしょうか。いま、中国の政府システムには環境問題を解決するため、「環境と成長」のトレードオフを転換させるすべを持っていないのです。
誰がどのような権限とインセンティブを持っているのか、やはりこれは重要なことで、それゆえにこの権限の配分を決める政治は経済に重要な影響をあたえる重要な要素です。日本の民主主義、地方自治が、仮にアメリカに上からもらったものだとしても、その制度を使って自らの力で環境の問題をポジティブサムに転換させた経験は、民主主義が日本の制度としてきちんと根をはっていることの証左でしょう。日本の民主主義が借り物だ、という議論は、この公害問題の経験を見ていけば、全く的はずれです。いまの政治制度なければ、革新と呼ばれる左派がきちんと機能した過去がなければ、わたしたちの世代の何割かが、40代にも入れずに死んでいたかもしれません。とはいえ、革新はその後自分たちを革新できなかった面もありますが。
住民の権利保護のための制度が内在されていない今の権力体系の中で、中央の権限を強化だけすることは、パンクしたタイヤに圧力を一生懸命加えるようなもので、発散するポジティブフィードバックになっています。圧力が望ましい結果をうむ、閉じたシステムにするために、中国はどうするのでしょうか。

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