中国の制度は曖昧なのか:中国の制度転換と契約理論

本日、本年の8月に亡くなられた加藤弘之先生の『中国経済学入門』の合評会が行われました。この本に至る一連の著作の中の、いくつかの概念が取り上げられました。まず、その中でも「包」と呼ばれる伝統的に中国に見られる請負的な制度について、なぜいつから加藤先生がこだわるようになったのか。これについて今のうちに記録をしておきたいというご要望を聞いたので、事実の記録としてわたしが加藤先生との交流で知っていることを書きます。そのあとで、そもそも中国の制度をどうとらえるのか。いわゆる「主流派経済学」と地域研究系の学会ではややアレルギー気味に嫌悪されてしまう理論的枠組みと中国の現実の間にどういう関係があるのか、わたしがやってきたこととわたしが理解している範囲で書いておこうと思います

 

日、本年の8月に亡くなられた加藤弘之先生の『中国経済学入門』の合評会が行われました。この本に至る一連の著作の中の、いくつかの概念が取り上げられました。まず、その中でも「包」と呼ばれる伝統的に中国に見られる請負的な制度について、なぜいつから加藤先生がこだわるようになったのか。これについて今のうちに記録をしておきたいというご要望を聞いたので、事実の記録としてわたしが加藤先生との交流で知っていることを書きます。そのあとで、そもそも中国の制度をどうとらえるのか。いわゆる「主流派経済学」と地域研究系の学会ではややアレルギー気味に嫌悪されてしまう理論的枠組みと中国の現実の間にどういう関係があるのか、わたしがやってきたこととわたしが理解している範囲で書いておこうと思います。

1.加藤先生の包と曖昧な制度への着想のきっかけ?
まず、加藤弘之先生が包という概念になぜ注目し始めたのか。わたしは、2006年から2009年にかけての同時期に北京に滞在していたので、会話をする機会がままありました。包というのは、中国で伝統的にみられている請負のかたちですが、標準的な契約理論が想定しているように、細かい点をすべてスペシファイしているようなものではなく、いわゆるプリンシパルがエージェント一定の任務と権限を与えたら、その内容はどのように進めようとプリンシパルはエージェントに対して口出しができない、という形になっていたようです。こういう関係に特に注目されたきっかけとして、わたしが直接聞いた話の中から影響があったと思われるのは、(1)北京に駐在している日本人のご友人のビジネスでは、中国人に対しては包の方式であったこと、(2)2008年の四川大地震の後の復興支援の対口支援(ペアリングによる支援)の方式がまさにこの包の方式だったことです。この復興支援では、具体的には被災した地域の県(日本でいうところの郡・市にあたる行政区分)と国内の有力省・直轄市、広東省・上海市・北京市・福建省などなどがペアリングされ、学校や公共施設の再建などの具体的な目標が中央から各省・市に与えられました。中央は任務は課したものの、財源および実施方法をどのようにするかはすべて各省・市の裁量に任せて、自分たちは負担しない方式をとりました。
このように、いったんエージェントに任せたら、結果責任は問えるけれど、プロセスには口を出せない、という請負関係は、中国では個人・組織の間で頻繁に観察されます。それの代表が包であり、それに加藤先生はインスパイアされたようでした。さらにこうした包という請負契約がインセンティブを最大化させ、地方から官僚が昇進していく状況を実証的に研究した北京大学光華管理学院の周黎安(Zhou Li-An)がたまたま私の友人だったので、彼の日本への招聘をお手伝いしました。ちなみに、中国国内ではこの財政体系の「包」「請負」の「契約」のかたちは不完全であるという認識が強く、財権と事権の分離がインセンティブをゆがめているという認識は広く持たれています。また、加藤先生ご自身がなぜ歴史的な包というところを取り上げられたのかは、若干実務的な必要からで、歴史的な分析のプロジェクトに参加されたためらしい、というのが、本日の議論から見えてきました。関心の本筋は現代でも生きている包の関係を捕まえたい、ということではなかったかと思います。以上がわたしが直接知っている事実です。

2.契約理論とは
そもそも中国の制度は曖昧なのか。制度を分析する経済学の研究の枠組み、中国の制度の現実、そして、制度経済学がいま議論している概念のうち、経済学の外の学問との整合的な理解をするために役立つかもしれない概念として「中央集権のジレンマ」というものについて書いてみたいと思います。加藤先生が曖昧という表現をインスパイヤされたのは、許成鋼・ワインガストの論文で、80年代から90年代にかけての郷鎮企業を念頭において、だれのものかがはっきりしない曖昧な所有権がもたらした貢献についての論文ではないかと思います。そもそもなぜ所有権という概念が経済に影響を与えるのか、それが曖昧というのはどういうことなのか。これを理解するためにも、契約理論の発展の道筋を理解することが必要になります。
契約理論とは、仕事を依頼するプリンシパルと仕事を請け負うエージェントの間での取引の条件を理論的に理解しようとする枠組みです。この2つの主体が異種のものとして扱われるのは、エージェントの行動や性質についての情報をプリンシパルは十分に得ることができず、その情報の非対称性がある。そしてその情報の非対称性が両者の間の取引の利益を左右するからです。もしエージェントがリスクをまったく気にしないタイプの人であれば、取引の利益を最大化する契約は、プリンシパルが固定額をもらい、のこりの売り上げ・収益をすべてエージェントに渡すタイプの契約になります。
上記の「包」は、このタイプの契約に近いのではないか、とわたしは、ずっと考えてきました。もしそうであるならば、中国のプリンシパルとエージェントがリスク負担能力がほぼ同じでありリスクに中立的であれば、包はもっとも効率的な契約だったといえるわけです。現在現実に観察される洗練された利益分配契約は、主にエージェントのリスクへの選好と利益への選好のバランスで、利益分配の形が決まってくることが分かっています。(このあたりがホルストロムがノーベル賞を受ける理由となった貢献で、マクミランにわかりやすく書かれています。ちなみに、このマクミランの契約の章の練習問題のひとつは、改革開放直後に広がった農村の個人請負制に関する実証研究をベースにした問題で、このリスクと利益選好を計算する問題になってます。)。
この契約理論の基本的な枠組みの上で、プリンシパルとエージェントが結ぶ契約は、二者間で交渉し決定する内容でもっとも効率的なものになるのかどうか、が議論されるようになりました。再交渉も考慮に入れると事前に決めた契約内容は現実を制約しなくなることに注目したのが不完備契約理論です。こうした状況では、だれがどのような条件で意思決定をできるか、という決定権の配分が取引の利益の規模を左右することになる。決定権の配分を規定するルールである「制度」が問題になる、ということが明らかになってきました。より効率的=より大きな取引の利益を実現する現実を理解するには、二者間で交渉し合意に至ることのできる完備契約では不十分で、ルールとそのルールを制定し執行する第三者の存在が必要のある不完備契約の考え方をオリバー・ハートとジョン・ムーアが提起したわけです。しかし、この考え方はティロールなどからの反論を浴び、影響力が小さくなっていましたが、その後の国際経済学と不完備契約理論を結びつけた研究の発展の貢献もあり、今回のノーベル賞授賞に至りました。このあたりの経緯については、ハートとホルストロムのノーベル賞受賞に関連して、東大の柳川先生
一橋大学の伊藤秀史先生)、関東学院大学の中泉さんが解説してくださっています。

3.中国社会のリアルは完備契約なのか:代金回収の履行可能性と現金の代替性
さて、わたしは博士論文を書くことになったとき、中国の現実を契約理論で理解する題材として、企業間信用、代金回収の問題を取り上げることにしました。当時、非常に興味深く解説論文を読んでいた不完備契約の理論を応用できる題材だろうと思ったからです。結果的には、博士論文を構成する2本の論文を書きました(この論文は、まだ投稿・公開のプロセスを経てないので、ほとんど誰にも読まれてないです。東大のレポジトリにあるのでよかったら読んでやってください)。このような本当にニッチな題材を取り上げさせてくれた指導教官にはとても感謝しています。この論文を書くことで、私自身はかなり「気が済んだ」ので。
1990年代後半から2000年代にかけて、企業間の取引が売掛買掛で行われるも代金がキチンと支払われない状況が発生していました。三角債と呼ばれる状況です。理論的に考えれば、きちんと契約が履行されなければ、経済取引は合意に至らず、経済活動は収縮してしまうはずです。しかし、こうした状況があるにも関われず、中国経済は発展をし続け、経済取引を足し合わせたものであるGDPは伸び続けました。これは大きな謎だったわけです。この問題を考えるためには、企業間信用の執行が不完全であるにも関わらず、なぜ経済取引が成立するのか、を考えることにしました。その結果、一本目の論文では、売り手が契約を履行させるだけの力が企業間信用と取引規模の大きさを決定するのは間違いないものの、この力が不十分であっても現金取引が成立すれば代替されることがわかりました。
この構造を敷衍し、買い手の手元にある現金残高が十分にあれば、企業間信用のベースが不完全で契約が履行されないとしても、経済取引の規模が収縮しないというという理論モデルを書きました。そして、当時独自にサーベイした企業間の取引をめぐる契約条件についてのデータでも実証的に確認できました。この結果が示しているのは、実は二者間の交渉で最適な契約を結ぶことができるという、完備契約の枠組みで、中国の代金回収・三角債の問題を解決する仕組みはつくることができるということです。不完備契約の実証論文を書くつもりで始めた研究が、完備契約で十分だ、ということになってしまったのです。これには自分でもちょっと拍子抜けしました。ハートの議論に刺激され、それをサポートするために始めた研究が、結果的にティロールの議論をサポートする形になってしまったからです。
また、この最初の論文で確認した、買い手が保有する現金残高の規模が、信用が不完全な状態を代替する、という状況は、いまの中国の経済取引のデフォルトになっているとわたしは考えています。その典型的な事例が、電子商取引の決済システムであるアリペイやウィチャットペイの仕組みです。このペイメントシステムは、あくまで買い手の現金残高の範囲で、プラットフォームが決済を執行します。企業間信用のリスクがあるのが前提で、その不完全性を買い手の保有する現金が代替しているという構造がそのまま存在しています。さらに、この構造は、同じ移行経済であったロシアや中東欧の移行経済で頻発したバーター取引がなぜ発生したのかも説明しているのかもしれません。政府が発行する現金残高が不十分であったため、現金と執行能力の代替性が十分に発揮されなかったものの、バーター取引に応じてもらえる商品がある限りは、が成立していた、と理解できるのかもしれません。一方、中国は貨幣供給がふんだんだったために、経済取引の規模が拡大し続けたということになります(実際、中国の貨幣供給残高/GDPの比率は、日本と並んで高く、欧米の平均的な水準を上回っています)。

3.それともやはり不完備的なのか?:リスクを相似的な組織選択で回避する。
この議論を深めるために、家電企業を対象に代金回収の問題にどのように対応しているのかをヒアリングし、そこでの発見を実証研究で確認する論文を書きました。ここでわかったのは、代金を一部前払いし、さらに代金回収率と数量へのインセンティブを組み合わせた取引形態が広く採用されており、理論的にも取引の利益を最大化することになっている、さらに多くの企業がこの取引形態を採用することに収れんしていったことでした。代金回収のリスクに対応するという戦略に対して、一定の取引形態が採用されていました。戦略に契約のかたち・組織の選択が従っていました。これについて、論文を書いた時点では、上に書いたように完備契約での代金回収の問題には対応できるという結論だな、と自分では考えていました。しかし、今日の議論を聞きながら、組織の選択が収れんしているということは、じつは制度が収れんしているということで、不完備契約の枠組みでの議論なのかもしれない、と思い始めました。この点については、これからもう少し考えてみようと思います。

4.しくみの選択をめぐる試行錯誤:制度が現実を左右する
さらに、不完備契約的な枠組みは、中国の現実を理解するための示唆を与えてくれています。不完備契約が決定権の重要性をあきらかにした議論は、中国の請負制から所有権の確定をめぐる試行錯誤を説明する力があります。また、分権的で奔放にみえる地方政府の行動は、じつは国家が公式に認めた制度が与えた自由であるという事実もあります。制度は明確で、自由を与えているのです。
1980年代、改革開放政策が始まった直後、企業の所有権を国家と公的主体が独占するというイデオロギーが強く民間企業の参入は許されませんでした。と同時に、非効率さが顕在化している国有企業の民営化も実施することはできなかったのです。この結果、国有企業の生産能力を引き上げるために、企業の所有権はだれに帰属するのかは曖昧なまま明確にせず、政府と企業経営者が利益を分け合う請負制が導入されました。政府がプリンシパル、企業がエージェントという契約で、首都鉄鋼などが有名な事例です。しかし、この制度には欠陥があった。企業の業績を上向かせるときは、インセンティブに応じてどんどん拡大することができるものの、企業の業績が悪化したとき、その責任を取ることは求めていなかった。この結果、企業の資源は経営者に食いつぶされる事態があいつぎました。銀行や労働債権が不良化し、損切をしなければならなくなったとき、だれが所有者かを明確にしなければ、そうした処理すらできないことに気づいたのです。こうして、1990年代松から2000年代にかけて、改制と呼ばれる所有権の確定のプロセスが始まり、企業によっては債務の再構築も行われたのである。このとき、公と民をわける思想はあらためて入り込み、国家株と公開株という異質な株式制度が導入されました。
また、地方政府の自由なふるまいは、制度が保証した自由でした。2000年代に立法法と予算法が、本来国会である全人代が決定すべき、課税項目、課税方法について、地方政府が自由に決められることを明示的に定め、地方政府は地方振興のためにこの裁量権を最大限利用しました。この分権的な状況は、2014年の立法法と予算法の改定で、もう一度中央政府に権限が回収され終了しており、現場でもそのように制度が履行されつつあるように見えます。

 

5.中央集権のジレンマ
契約がより効率的な状況を実現するためには、契約の履行を担保する力があること、それには決定権の配分が必要であること、というのが、不完備契約の議論です。それを敷衍していくと、政治学と経済学が出会うことができます。つまり、契約や所有権の履行や担保をする力がどこにあるのか、きちんとそうした力があるのか、が、経済の取引規模を決定するということです。この点について、制度をめぐる主流派経済学の議論に加え政治学も注目するようになっています。つまり、契約や所有権の履行や担保がより効率的に行われるためには、政治的な中央集権および国家の成立が必要であるということです。この議論は、アセモグル・ロビンソンの『国家はなぜ衰退するのか』のメッセージですし、彼らの議論に刺激を受けたフランシス・フクヤマの『政治の起源』は、恣意的もしくはメンバーの中だけで契約の履行が担保されている部族制・家産制を克服するためには、国家が領土の中では統一的なルールの履行を担保することが必要であることを議論しています。ちなみに、アセモグル・ロビンソン、フクヤマともに、それぞれの本を執筆した隠れテーマは、標準的な制度間では理解しがたい中国の強さをどう理解したらいいか、を考えることにあったようです。しかしながら、どちらも中国の本当の現状を十分には調査検討していません。この穴をうめることに、中国研究者の仕事ある、丁寧な資料の確認とフィールドワークをする地域研究的アプローチの優位性がまだ残っています。
さらに、ワインガストと青木昌彦先生が議論している「中央集権のジレンマ」という状況は、習近平政権のもとでの中国の現実をかなり近似しているとわたしは考えています。ワインガストは、契約を履行するためには十分に強い強制力が必要である。しかし、同時にこの強い強制力は、国家を構成する民の資産を収奪するにも十分な力を持っている。ここにジレンマがあるというのが、ワインガストの議論です。そして、青木先生はこの議論を受けて、一体どういう条件のもとで、国家が民の資産を収奪するような横暴を自主的に抑制するようになのかを考察している。そこでは、国家が民を分断し、収奪される人と収奪されない人に分けているとき、民が結束して政権を倒すことはない。逆に、国家の収奪がランダムになってしまうと、民は結束し政権を倒す可能性が高まり、国家は権力の濫用を抑制するだろう、と議論しています。
胡錦涛時代に改革が利害関係者に阻止され、習近平時代に入り国家の抑圧がより強くなっている現状は、この中央集権のジレンマという概念である程度近似できるのではないかといま考えています。中国の企業制度を眺めていくと、憲法と党の綱領は、公有企業と民営企業の身分は平等ではなく、前者がより優位にあることが明記されています。制度は、公式にこの差別を認めているのです。そして、国家が収奪を行う可能性について、民営企業がそうした被害にあう確率は、明らかに公有制企業より高いのが現実です。
統一的なルールを履行し経済取引をより大きくするという名目のために、習近平への権力集中を民は承認してきたものの、十分に力を蓄えると、権力は逆に民の権利の収奪を強めています。中央集権のジレンマがより苛烈なかたちで立ち現れ、制度の曖昧さは消えていっているように見えます。
先日ヒアリングを行った過剰能力削減のスキームを見ると、行政的手法をさらに強めることでしか対応できないという意識が強まっているようにも見える。「中央集権へのアディクション」とも表現できるジレンマが加速しているのかもしれません。こうした動きに対し、米国との二国間投資協定、OECDおよびまだ参加を表明していないにもかかわらず中国が熱心に研究しているTPPでは、国有企業と民営企業の競争中立性の実現が求められています。公有企業と民営企業を平等かつ中立的に扱うことは、経済の効率性を引き上げるために必要でしょう。

 

6.制度が曖昧なのか、履行が不完全なのか
以上で議論したように、わたしは、主流派経済学から出てきている完備契約、不完備契約の議論は、中国の経済および政治経済を近似するのに、それなりの力を持っている、と思っています。
実は当初、加藤先生のいう曖昧な制度というのは、分権的で融通無碍な制度ととらえるのではないか、とも考えていました。しかし、この文章を書きながら、契約理論のロジックから現在の中国の制度を解釈する試みについて整理していったいま、次のように言えるのではないか、と思うようになりました。つまり、いまの中国を貫く特徴は、「制度が曖昧」というよりも、「制度の履行が不完全である」結果としてリスクがある。つまり、不完備契約が想定する状況のもと、理想的な制度に向けて試行錯誤の調整をしていると解釈できる。こう考えることで、中国の制度をめぐる議論と現実のリアルのピントが合うような気がします。

(渡邉真理子)

参考文献
マクミラン、ジョン(1995) 『経営戦略のゲーム理論―交渉・契約・入札の戦略分析』有斐閣
青木昌彦(2003)「政治ドメインにおける安定的均衡としての国家」『比較制度分析に向けて』NTT出版
柳川範之(2000)『契約と組織の経済学』 東洋経済新報社
伊藤秀史(2003)『契約の経済理論』有斐閣
Weingust, Barry(1995) “The Economic Role of Political Institutions” Journal of Law, Economics and Organization, Vol. 11, No.1
Hart、Oliver(1995) Firms, Contract and Financial Structure, Oxford University Press, USA.
Jean Tirole (2001) “Corporate Governance” Econometrica, Vol.69 No.1
Watanabe, Mariko (2011), Empirical Essays on Emergence of Economic Transaction Mechanism : Case of Trade Credit in China

 

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